2018年11月6日火曜日

雲隠れにし夜半の月影

数日前、もう何年も会っていなかったトルコ人の友人が、突然我が家を訪ねてくれました。
Facebookでメッセージを送った、と彼は言いましたが、“貧乏暇無し”の諺通り、私には今の所、SNSを見る時間も殆ど有りませんorz
いずれにしても、久々の再会はとても嬉しく、また一方で、私の状況がもっと好転していれば、と残念に思う気持ちも有りました。
しかし、彼は、車を適当な場所に置いてくる、と言って出ていったきり、戻ってきませんでした。
連絡も取れません。
百人一首中の
めぐり逢ひて見しやそれとも分かぬ間に
雲隠れにし夜半の月影/月かな
の和歌(作・紫式部=『小倉百人一首』57番、『新古今集』雑上・1499)その通りの心地がしました。



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2018年7月8日日曜日

まほし特性

まほし 助動詞(シク活用型)

意味①〔自己の動作の実現の希望〕…たい。
  • 例文 紫のゆかりを見て、つづきの見まほしくおぼゆれど、人かたらひなどもえせず。 出典:更級日記
    [訳] 『源氏物語』の紫の上に関係した部分を見て、続きを見たく思うけれど、人に相談もできない。
意味②〔事態の実現の希望〕…が望ましい。…てほしい。▽ラ変動詞「あり」などの下に付いて。
  • 例文 少しのことにも、先達(せんだち)はあらまほしき事なり。 出典:徒然草第52段
    [訳] ちょっとしたことでも、指導者はあってほしいものである。
この古文単語の助動詞「まほし」に因んで名付けられた“まほし特性”は、“悪い結果になる事を恐れて、実現を望む事に着手しない”と云う思考・行動パターンを意味しています。
ですから、“まほし特性”を示す人の希望は、“棚から牡丹餅(ぼたもち)”の形でしか実現し得ません。

まほし特性

“悪い結果になる事を恐れて、実現を望む事に着手しない”と云う思考・行動パターン
“まほし特性”は、無難に生きようとする人の生き方、逃げる人の生き方です。

例えば、“まほし特性”を示す人は、恋人や配偶者を選ぶ時、一番好きな人だと気後れして緊張する、と云う理由で、気後れなどせず気楽に付き合える、5番目か6番目か7番目か8番目か位に好きな人を選んだりします。
1番目~4番目は、彼(または彼女)にとって夢や理想と云う事になり、その結果、彼(または彼女)は、「夢や理想と現実は違う!」などと負け犬の如くに吠えてのたまう事にもなりかねません^^;
“まほし特性”を示す人は、無難で程々の恋愛、分相応で身の丈に合った結婚を経験する事が出来ます!^^

また、例えば、“まほし特性”を示す人は、進学・受験に際しては、落ちたら嫌だ、と云う理由で、一番進みたい学校、出来れば行きたい学校を選ばず、「絶対合格出来る!」と思う、自分にとってそれ以外に魅力の無い学校を選んで受験したりします。
そんな後ろ向きのネガティブな心構えで受験した結果、「万が一ここも落ちたらどうしよう…。」と更なる[不安]に苛(さいな)まれ、萎縮して自分の持つ[学力]を十分発揮出来ずに、本来余裕で合格出来る筈だった底辺校にも、“まさか”の下り坂を転げ落ちて門前払いされる事にもなりかねません^^;

或いは、例えば、“まほし特性”を示す人は、誰かに「今度一緒に歌を歌いましょう!」と言う時、相手に歌詞や和声(ハーモニー)を覚えておいてもらう為に、一番一緒に歌いたい歌を言わずに、2番目、3番目…の歌を言ったりします。
その結果、「えー!最初に言ってくれた歌を一生懸命覚えたのに!もう嫌じゃ!そんなに暇じゃないんじゃ!」と怒られる事にもなりかねません^^;
“悪い結果になる事を恐れて”余計悪い結果を招いた、と言えるかも知れません😱

“まほし特性”を示す人には、[勉強]は出来ません。
なぜなら、[勉強]とは、“自分が前向きな姿勢でしたい事を頑張る事”“自分が[学力]を発揮したい事を頑張る事”であり、“まほし特性”の対極に在る精神性だからです。
“まほし特性”は、「民間文教施設“粟谷塾”公式ウェブサイト」の「民間文教施設“粟谷塾”の理念 [勉強]」のページで紹介した白居易の漢詩「東城尋春(東城に春を尋ぬ)」に登場した例のおじいさんが克服した思考・行動パターンなのです。

“まほし特性”の事を、これまで授業や手紙等で“まほしの法則”と呼んできましたが、“法則”と呼ぶより“特性”と呼ぶ方が意味や語法が適切だ、と判断し、“まほし特性”と呼ぶ事にしました。

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2018年5月26日土曜日

百人一首名勝負!

粟谷塾では最近、中学生の二人の生徒が授業の度に百人一首を対戦しています。



年上の生徒は、既に100首覚え、今は様々な歌集から自ら選ぶ“二百人一首”作りに挑戦しています。
年下の生徒は、負けじと追い掛け、暗唱出来る和歌、歌意の分かる和歌を増やしてきました。

これまでは年上の生徒の全勝で、年下の生徒はひたすら負け続けていました。
年下の生徒は悔しさをぐっと堪えて、諦めず何度も何度も挑戦し続けました。

年下の生徒は最近、「覚えようとしなくてもいつの間にかたくさん覚えている。」と言いました。
それこそが覚える秘訣です。
覚えようとして無理矢理頭に詰め込むよりも、楽しんでいるうちに知らず知らず身に着いた、と云う形で覚える方が、遥かにたくさん、忘れにくく応用も利くような良質の記憶が出来ます。
年上の生徒もそうやって小倉百人一首全100首を覚えたのでした。

先週の金曜日、遂にその日がやってきました。
年下の生徒が初めて、初めて勝利しました!
55枚対45枚。完勝です!
年下の生徒は、待ちに待ったこの瞬間を、この喜びをしっかり噛み締め、じっくり味わっていました。
粘り強く勝ち取ったこの経験を忘れず、[自信]にしていってほしい、と思います。



一方、年上の生徒は、いつから続いているのかすら分からない連勝が、遂に途切れてしまった事で、悔しがり癇癪を起こしても、今度ばかりは仕方が無い、と思われました。
しかし、ぐっと耐えていました。
そして、
驕れる人も久しからず ただ春の世の夢の如し
猛き者も遂には滅びぬ 偏に風の前の塵に同じ
世の中は 月に叢雲 花に風
と静かに唱え始めました。
どんなに強くてもいつかは負けるのであり、思い通りに行かないのが現実世界だ、と云う事です。
そうして、自分が負けた事実を甘んじて受け入れました。
立派な負けっぷりです。
「カッコイイですね!」ww



こうして、二人共成長し、人として、[勉強]を行う者として、次のステージに進んだようです^^
実に天晴れな対戦でした^^

明日、5月27日は、“百人一首の日”なのだそうです。
783年前の明日、つまり、1235年5月27日に小倉百人一首が完成されたそうです。

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2017年11月9日木曜日

神奈川県立保健福祉大学の大学祭に行ってきた!

11月5日日曜日、我々粟谷塾一行は、神奈川県立保健福祉大学の第15回大学祭、「うみかぜ祭」に行ってきました。
大学受験の年齢にはまだ遠い生徒達であっても、大学を身近に感じられるようになり、大学を越えられない壁のように感じてしまう事が無いようにする為です。
生徒達だけではなく、生徒達のご家族にも参加していただき、とても有意義で充実したイベントになりました^^

生徒の希望でオープニングセレモニーから参加した私達は、結局、一般公開時間の最後まで大学祭を満喫する事になりました^^
以前生徒と共に参加した高校の文化祭での経験で、私が口出しせずに見守っていれば、年下の生徒も次第に生き生きと、上級学校を自宅のように闊歩し出すのを見てきた私は、大学でも同じようにしました。
生徒達はそれぞれに、興奮の中にも主体性を発揮して、初めての大学を歩き回り、貪欲に新しい経験を楽しみました。
ゲームも沢山、美味しい物も沢山楽しんだ中で、生徒達が一番楽しんだのが福祉用ロボット体験だったのは、やはり神奈川県立保健福祉大学!です^^
来年は、就学前の子も福祉用ロボット体験を楽しめるようにサイズ調整を工夫しておいてくれるといいなぁ・・・<(_ _)>

アザラシのアニマルセラピー用ロボットについて生徒と共感してくれた1年生(大学の、ですよ^^)のお姉さんや、紙コップと輪ゴムの工作で生徒の発想を絶賛してくれたお兄さん達等、差し向かいで生徒達と話してくださった大学生の皆さんのお陰で、生徒達は、大学に対してだけでなく、大学生に対しても親近感を持てただろう、と思います。
とても感謝しています^^

私としては、一人一人の成長を随所に見る事が出来、当初の目的に適って一人一人が大学を楽しい所として認識出来て、100点満点のイベントになった、と思います。
特に、うちのように自由な塾風の個人塾でのイベントの至難さを顧みると、感慨無量です。

ただ惜しむらくは、「うみかぜ祭」も終わり近くになって、私が頭痛を起こしてしまったのです。
これは申し訳無かったです。
余計な心配を掛けてしまいました。



後日、[謝礼]金を持ってきてくれた生徒親子が、私が普段使っていてたまたま切らしていた薬や大根を買ってきてくれ、昨日は見舞いの電話も呉れました。
また、止むを得ず授業を延期させてもらった生徒は、玄関先に届いた仕事上の荷物の心配もしてくれました。
お陰で頭痛はほぼ治まり、今こうしてこれを書いています。

素晴らしい数日間になりました。
本当に皆どうも有り難う!
ハプニングも何もかも皆、忘れられない良い思い出になる事でしょう(o^^o)

そして、次は11月25日土曜日、東京大学の「駒場祭」に行く予定です!

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2017年6月20日火曜日

先生!お久し振りです!

先の記事、「新しい生徒を迎える事よりも戻ってくる生徒を待つ事を優先して全てを犠牲にしてきた事」で、
私が新しい生徒を迎える事よりも不本意な仕方で去った生徒達が戻るのを待つ事を優先してきた
事を書きました。
新しいメンバーを募るのではなく、もう一度同じメンバーで仕切り直ししたい、と云うのは、残った生徒と私の共通の願いでした。

しかし、そうやって待つ事にも潮時が来た、と先週判断しました。
私にお金を請求する立場の人が、どうも私に直接請求するのを避けているようで、その代わりに懲役刑も有り得るような犯罪に手を染めている可能性が出てきたからです。

私は、この塾に集まってくれた人達が、この塾の理念の通りの進歩・成長を遂げられるように、多少非常識だとしても、全力を尽くしてきました。
その為、特にこの経済的な苦境の間、責められるべき事については徹底的に謝り、責められるべきでない事については徹底的に闘ってきました。
その事は少なからず方々に伝わっているでしょうから、この人もそれが原因で私を避けたのかも知れません。
(そして、私と話した結果、犯罪の可能性を自ら露にした訳ですが…。)
いずれにしても、私が彼らの為に無理を通し続ける事で、この事には直接関係の無い人が犯罪者になってしまう(犯罪者になる道を選んでしまう)とすれば、最早、待ち過ぎだ、潮時だ、と思うのです。

そして、先週、もう待たない事にしました。
それでも、私が、この塾に集まってくれた人達の事をどれほど大切に思い、どれほど優先し、どれほどの覚悟でそうするのか(そうしているのか)、と云う事は、十分に示せた、と思います。
それが彼らの中の誰にも伝わっていないとしても、今居る生徒達には伝わったのは、先の記事にも書いた通りです。

今、新しい生徒・保護者を募り、迎える為の準備をしています。
近い内にそれを公開し、それからは粟谷塾の新しい時代に入ります。

ただ、彼らを待たない事にすると、「今のこの苦境は誰の為?何の為?」と云う事になるのは避けられません。
勿論、今居る人達、これから来る人達が、私と粟谷塾のこの経験、この歴史から学んでくれるだろう、とは思うのですが、「だから、まぁ良いか!」と思えるようになるのは、もっと先です。
その意味で、今が一番苦しい時です。

そんな時にも、有り難い事に、“地獄で仏”と言うべき事が有りました。
今日、外を歩いていると、暫く顔を見なかった郵便配達員のSさんが「先生!お久し振りです!」と声を掛けてきてくれました。
私が一度ここを出ざるを得なくなり、再び戻る事になった時に、電話を掛けてきてくれて、転送届を適切に処理して、迎えてくれた郵便配達員のSさんです。
Sさんが粟谷塾の生徒である訳ではないのですが、ずっと私を「先生」と呼んで遇し続けてくれています。
そのSさんが今日もまた私に掛けてくれた言葉は、本当に励みになり、力を与えてくれる一言でした。
ただただ有り難かったです。




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2017年5月31日水曜日

新しい生徒を迎える事よりも戻ってくる生徒を待つ事を優先して全てを犠牲にしてきた事

先日、私は蔵書の大半を売る事にしました。
それは、当座のお金の必要に加えて、インターネットの普及と近年の世界的な学術レベルの低下によって、本(書籍)と云う物の価値が変わってきた、と判断したからでもあります。
結果的に、私の蔵書には専門書が多く、町の商店街のニーズには合わない、と云う事で、思ったほど多くの冊数を売り払う事にはなりませんでした。
しかし、私が買取店の方に、本以外の家財も、「あれも良いですよ、これも良いですよ。」と言い出すのを見た生徒は、少なからず衝撃を受けたようでした。

残念な仕方で生徒が減っていく中ずっと塾に残っていた生徒達は、私が新しい生徒を迎える事よりも不本意な仕方で去った生徒達が戻るのを待つ事を優先してきたのを知っています。
今回の事は、私がその為に全ての物を犠牲にしてきた事を象徴的に示す機会になった、と思います。
そして、私は、彼らに言いました。
「先生があの子達の為にした事は、自分にもしてもらえる、と思って良いんだよ。」と。

私は普段から生徒達に、例えば、ヤヌシュ・コルチャックがした事は別段凄い事ではなく教師、指導者としてごく当たり前の事だ、と云うような事を言ってきました。
それが単なる言葉ではない事を、少しは示せたかな、と思っています。





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